コロナ禍を経ても衰えのない、酒場ブーム。その支持の大半は大手チェーン店だけではなく、自分だけの時間を過ごすことができるような“味のある”個人経営の大衆酒場であり、なかにはあまりの人気から予約必須となってしまった店も少なくない。
こういった酒場には、レモンサワーやホッピーといった、これまた大衆的な酒を用意していることもあるが、そのベースとして使われることが多いのが「亀甲宮」(以下、キンミヤ)という甲類焼酎。クセのないスッキリとした口当たりから、ユーザーから絶大な支持を得ており、ある種のカリスマ的人気を持つ焼酎だ。
この「キンミヤ」の製造・販売元である株式会社宮﨑本店の本社は三重県四日市市にあり、ここで製造・発送などを一挙に行うことから「キンミヤの聖地」と呼ぶ声もある。今回は「キンミヤ」のヒットの秘密を探るべく、株式会社宮﨑本店本社を訪ねてみた。
静かな住宅街に突如現れた「宮」の文字
名古屋から車で約50分、三重県四日市市にある楠町にたどり着いた。宮﨑本店の住所を頼りに向かったが、周辺には鈴鹿川の派川が静かに流れる以外、取り立てて目印になるようなものはなく、もちろん工場などもあまり見られない。極めて静かな住宅街だ。
少々不安になりながら住宅街を進んでいくと、ある角の真っ黒の蔵に、キンミヤを表す亀甲に囲まれた「宮」の文字を発見。どうやらここが大衆酒場ブームを支える「キンミヤ」の本社・宮﨑本店のようだ。
宮﨑本店関連の施設は公道をまたいでいくつかあったが、実はこの界隈はかつて30軒以上の焼酎の蔵元があったという。廃業されていく酒蔵を宮﨑本店が引き受け、結果的に8000坪にもなる大きな蔵になったそうだ。
というわけで、まずは本社で受付を。今回は取材のためあらかじめ訪問の許可をもらっていたが、通常は関係者以外来訪できない。ただし、コロナ禍以前は工場見学を受け付けていたこともあるので、その再開を期待したいところだ。
本社の受付がまたかなり渋い建物で、1921年に建築されたと伝わっているという。そのドアを開けると、まるでタイムスリップしたような錯覚を抱いたが、この建物を含む本社内の5棟は登録有形文化財にも登録されているらしい。
今回取材に対応してくれたのは、宮﨑本店の取締役である美濃部浩一郎さん。キンミヤのヒットの秘密を教えてもらった。
「キンミヤ」という名称は問屋との間でついた名称
もともと宮﨑本店は、1846年の創業時に芋焼酎を造っており、近くの港から樽回船で江戸を中心に卸しを行っていたという。しかし、1923年に関東大震災が起きると、東京の街の多くの酒店が被災。酒蔵の多くが少しでも売掛金を回収をしようと躍起になったというが、宮﨑本店はその真逆で、船に支援物資を大量に積んで江戸へと向かい、それまでお世話になっていた酒店に無償で支援物資を配って回ったという。
義理人情に厚い東京の酒店はこのときの恩義を返すべく、復興後に宮﨑本店との取り引きを積極的に行い、その関係は今日まで続くようになった。こういった経緯があった一方で、当時「新式焼酎」と呼ばれていた、新しい技術で作られた焼酎が今後売れていくだろうと予想されたことから、1930年にキンミヤを誕生させるに至った。
キンミヤは、1930年に連続式蒸留機という当時の最新鋭の設備を導入して造られたもので、芋焼酎のほうが黒いマークだったのに対し、“新しい焼酎”として金色のマークがあしらわれた。醸造業界にとっては定番である縁起の良い亀の甲羅=亀甲が、宮﨑本店の経営者の頭文字「宮」の字を囲むマークである。
このことから、今もキンミヤの正式名称は「亀甲宮焼酎」だが、取引先の酒場などでお客さんの多くが「キンミヤ」と愛称していたことを後から知ったという。
キンミヤのおいしさは「水」から!
知られざるキンミヤの黎明期の話を聞きつつ、美濃部さんに社内にある工場施設を案内してもらった。キンミヤは、この本社で製造から発送までの全てを行っているが、今はキンミヤだけでなく清酒、合成清酒、単式蒸留焼酎、みりん、ウイスキーの6品目を造っている。
「弊社は焼酎とみりんの醸造から始まりましたが、ビールとブランデー以外のほとんどの酒を作る免許を取得しております」
宮﨑本店の多彩な酒造りは、免許や技術はもちろんのこと、三重県四日市市の風土の良さも大きく影響しているという。酒造りに採用されているのは鈴鹿山麓系の軟水で、柔らかく混ざりが良いのが特徴なんだそう。これがキンミヤの“命”でもあるという。
キンミヤのクリアな口当たりに対し、酒場の客のなかには「砂糖でも入っているんじゃないか」と疑うこともあるようだが、地元・三重の鈴鹿山麓系の水を採用することで、ブレンドする素材となじみ、それぞれの味わいを引き出しているんだとか。
「やはりこの気候と水がとても大切です。もし弊社が違う場所に移転することになった場合、水が変わってしまうので、たぶん今の味は実現できなくなると思います。ちなみに、弊社で使っている水は地下150メートルから汲み上げた伏流水で、2本の井戸から汲み上げています。季節によっても変わりますが、1日にして2本の井戸合算で1日350トンくらいを使っています」
「呑兵衛の笑うところにキンミヤあり」を目指して
美濃部さんに工場内を細かく案内してもらった後、社内の別の応接室に招かれ、宮﨑本店の7代目である宮﨑由太社長が挨拶に応じてくれた。
自社発信の広告宣伝をほとんどしないことで知られるキンミヤ。こういったことから、どこか敷居が高いような硬派な先入観もあった。しかし宮﨑社長はいたって柔和に接してくれ、最後にこんな話を聞かせてくれた。
「キンミヤは、長い歴史のある焼酎である一方、発売当初から今ほどの評価をいただいていたわけではありません。かつてはあくまでも酎ハイやホッピーのベースとして使う『裏方』としてのイメージのほうが強く、今のように、キンミヤのマークをお店の入り口に掲げていただいたり、スーパーマーケットなどの小売店で売上が伸びることは考えられませんでした。弊社の創業時から支えてくださった酒屋さんや酒場さんを裏切ることがないように、ただただ地道に続けていた結果、今日のご支持に繋がったのではないかと考えています。
大量販売を願うような、自社からの宣伝などはほぼ行ってきませんでしたが、酒、そしてこのキンミヤをご愛顧くださる方とは、『下町の酒場を支える名脇役』として今後も地道に交流させていただければありがたいです。どんな不況のときでも、大衆酒場には活気があるものです。日本全国の酒場で『呑兵衛の笑うところにキンミヤあり』と言っていただけるよう、これからも精進していきます」
キンミヤの聖地・宮﨑本店を訪れ、焼酎造りはもちろん、その濁りなき姿勢もキンミヤのクリアな味わいにリンクしているように感じた。同時に、改めてキンミヤで1杯やってみたくなった。そのときは、その味わいにある思いをより強く感じられそうだ。
取材・文=松田義人