埼玉県所沢市に本社を置く「山田うどん」。埼玉県を中心に、関東一円に146店舗を展開しているうどんチェーンだ。“埼玉のソウルフード”と呼ばれているほど埼玉県民に愛されており、映画「翔んで埼玉」シリーズにも登場した。
山田うどんといえば、かかしのマスコットキャラクターと回転看板がトレードマーク。しかしここ数年のうちに、かかしの口元のデザインが変わり、回転看板も廃止されてしまったのだ。一体、山田うどんに何があったのだろうか。
今回は、山田うどんを運営する山田食品産業株式会社 営業企画部の江橋丈広さんに、意外と知らない山田うどんの誕生秘話に加え、マスコットキャラクターのデザイン変更、回転看板を廃止した理由について話を聞いた。
ボリュームたっぷりの「セットメニュー」の秘密
山田食品産業株式会社は、所沢市が小麦の産地であったことから、1935年に手打ちうどんの製麺所として創業。その後、1964年に大規模な製麺工場を立ち上げ、その翌年に「山田うどん」の1号店がオープンした。当時はうどん1杯70円が相場だったところ、工場直営を活かして半額の35円で売り出し、大繁盛したという。
さらにその翌年には、現在のスタイルの原形となる、駐車場が完備されたドライブイン型の店舗がオープン。そこからロードサイドを中心に店舗を展開していき、最も多いときには280店舗まで拡大した。
そんな山田うどんが提供するメニューの特徴としてよく挙げられるのが、“カロリーのK点超え”だ。
「山田うどんのメニューには、麺とご飯ものがセットになったものがあります。他店さんであれば、セットメニューはどちらかがハーフサイズやミニサイズになっているのが通常かと思いますが、山田うどんではどちらも1人前です。そうすると、1人前+1人前になるので、当然大台の1000キロカロリーを超えてきます。これが“カロリーのK点超え”の由来です(笑)」
昨今の健康ブームに逆行するようなメニューをあえて採用しているのには、次のような背景がある。
「1980年代、ロードサイドのドライブインが減り、代わりにお洒落なファミリーレストランが台頭してきました。その結果、トラックドライバーさんや職人さんなど、体を使って働く“ガテン系”と呼ばれる方々が気兼ねなく入れるお店が減ってしまったのです。そこで、そのようなお客様が安心して入店でき、おなかいっぱい食べて喜んでいただけるよう、セットメニューを充実させていきました。その姿勢が現在まで続いています」
山田うどんのコンセプトである“早い!安い!うまい!腹いっぱい!”なガッツリメニューは、「肉体労働者を中心とした働く人たちを応援したい」という気持ちの表れだったようだ。
なぜ「かかし」?意外すぎる由来と、先進的だった回転看板
山田うどんといえば、かかしのキャラクター。あれは「かかしくん」という、そのままの名前だそう。うどんとは特に関係なさそうなかかしが、なぜマスコットになっているのだろうか。
「これは文部省唱歌の『案山子』(かかし)から来ています。この唱歌の中で『山田の中の一本足のかかし』という歌詞が登場するんですね。当時屋号を『山田うどん』に決めたときに、『山田』が歌詞に入っているこの歌が由来となって、かかしを弊社のマスコットにしました」
そうして生まれたかかしくんだが、一見するとやじろべえにも見える。江橋さんはその理由も教えてくれた。
「初代のかかしのデザインは現在とは異なっており、実際に田畑で見かけるかかしを再現したようなもっとリアルな絵で、弓矢も持っていました。ただ、1962年に『山田うどん』の屋号とロゴマークを商標登録しようとした際、そのリアルなかかしでは商標が取れなくて。そこで、デザインをデフォルメ化してわかりやすくしようということになり、『味と価格のバランスがよい』という意味を込め、やじろべえをモチーフにしたかかしにリニューアルしました」
山田うどんのもうひとつの特徴が、かかしくんが描かれた回転看板。映画「翔んで埼玉」の終盤でも、埼玉県のアイコンのひとつとしてアップで映し出されている。
「フランチャイズ経営に乗り出す前の1968年ごろ、4代目社長がフランチャイズチェーン展開の視察でアメリカに渡っています。その際、現地のフリーウェイで見たケンタッキーフライドチキンの回転看板に衝撃を受け、『山田うどんでも回転看板を立てたい!』と、1969年1月の本格的なフランチャイズ展開開始と同時に所沢市の本店に回転看板を立てたことが始まりです」
看板はアメリカから直接取り寄せて設置したため、かかった金額は当時の価格でおよそ2000万円。今でこそ回転看板は珍しいものではないが、当時は日本初だった可能性もあり、先進的でかなり目立っていたそう。ロードサイドに立つその回転看板が、運転手の目を引いていた様子が想像できる。