掲げるのは「未来の老舗」。創業40周年を迎えた「一風堂」河原成美氏のこれまでの足跡と未来への歩み

2025年10月14日

言わずとしれたラーメンの超名店「一風堂」が来る2025年10月16日(木)、大きな節目となる“40周年創業の日”を迎える。

現在グループで国内166店(2025年6月末時点)、海外140店(2025年3月末時点)を超える店舗を展開し、全世界で1日約6万以上の人が味わっている「一風堂」系列のラーメン。1985年に開業した11坪18席の小さな店の第一歩から、一大グローバルブランドへと育て上げたラーメン界の巨匠・河原成美氏は、40周年へのカウントダウンの始まっている今何を思うのか。すべての原点の地である「一風堂 大名本店」(福岡市・大名)にて大いに語ってもらった。


Profile/河原成美(かわはらしげみ)
1952年生まれ、福岡出身。1979年、レストランバー「AFTER THE RAIN」(福岡市・今泉で現在も営業)から飲食の道へ。1985年、「女性1人でも入りやすいラーメン店」の象徴ともなった「博多一風堂」を開店。

【写真】この日、河原成美氏自らが作ってくれた「本店白丸」。卓上から歴史を語りかけてくるようであり、淡く輝く気品をまとっていた

まず「一風堂」40年の功績をかいつまんで紹介しておく。河原氏は90年代「TVチャンピオンラーメン職人選手権」(テレビ東京)で前人未到の三連覇を達成。1996年に発売した「白丸元味」「赤丸新味」は河原氏の革新的なラーメンの設計思想が息づき、今では当たり前となったラーメンを“色”で分けた走り的存在でもある。さらに2008年、海外1号店ニューヨークを起点に始まった“啜る喜びを伝える”「ZUZUTTO(ズズット)」プロジェクトは世界各地へと派生。経済産業省クールジャパン戦略を通じた世界的なイベント出店のほか、アメリカのエンターテインメント企業「MARVEL」、欧州の自動車メーカーともコラボレーションするなど、ラーメンの枠をも超えた活躍は枚挙にいとまがない。いわば「先陣を切り世界に飛び込み、日本のラーメンはかっこいい」を伝えてきた業界のリーダー。それが河原成美氏なのである。

1985年の創業当時にかかっていた一枚板の看板の前で


「これはさ、創業当時の看板なんだよ。懐かしいね」

大名本店の一角に飾られた、40年の歴史を刻む“一風堂”の看板を愛でるような河原氏の優しい言葉からインタビューは始まった。


――40周年本当におめでとうございます。創業の日を迎えるにあたり率直な感想からお願いします。

ありがとう。40周年は「50年への扉がようやく開いた」という感覚かな。僕は33歳で開業したときから“創業50年”という数字を目指してきた。どんな仕事でもそうだけど、同じことを半世紀も続けられるって本当にすてきなことじゃない。10、20、30周年の節目でもその“50”に思いを馳せてきたけど、やはりまだ先だと漠然としたものがあったよね。でも今回の40周年はこれまでとははっきりと違っていて“残り10年”がより明確になった感じなんだよ。僕は今73歳で50周年時は83歳。そういう自分の年齢とも向き合いながら「よし行けるぜ!」と50年がリアルに見えてきた感じ。やりたいこともまだまだ出てきて、何からやっちゃろうか!と、今は楽しみでしょうがないよ。

――40年の歴史の中で転機となったこと、印象深い出来事はなんですか?

1994年、「新横浜ラーメン博物館」に関東1号店を出店したり、2008年にニューヨークで海外初進出を果たしたりなど躍進のキーとなった出来事はたくさんあるんだけど、そりゃいいことばかりじゃない。特にコロナパンデミックは相当大きかったよね。一瞬で世界が変わってしまい、一風堂も大きな変化、決断を強いられた。コロナ禍からこれまでの5年間はいろいろな意味で立ち直るために本当に苦労してきたんだよ。そして苦境を乗り越え、世の中があらゆる面でニューワールドへと突入した今のタイミングで40周年を迎えられることにも大きな意義を感じている。あらためてギラギラした目でファイティングポーズを取り直すというのかな。人はいつでもリスタートできる。“節目”はそういうきっかけという意味でも大事だと思っているよ。

――そのようなピンチを乗り切ってきた経営論を教えてください。

結局“矢印は常に自分を向いていないと”絶対に成長できないってことなんだよね。いろいろな道、やり方があっていい。けれど最終的には自分なわけ。環境のせいや他責にせず、常に深く自分と向き合えているかどうか。組織は大きくなると固まって。固まったら崩して。また大きくなってってことの繰り返し。その中で律するべきは究極「自分に矢印を向け続ける」ことなんだよね。これは、会社経営だけでなくあらゆる生き方、家族関係においてもとても大事なことだと思う。

――「変わらないために、変わり続ける」。河原さんが創業時から掲げるこの言葉は、いつの時代も心に刺さる金言です。振り返ってみて「変わらないもの」と「変わってきたもの(進化してきたもの)」は何でしょう?

「河原成美」という一人の人間。そして「一風堂」という一つの店は何があっても変わらない。多様化する食のニーズ、海外の嗜好に合わせラーメンやサービスは当然進化してきた。時流を読み新しいトレンドを生み出すことももちろん大事だから。でもね、僕という人間、ひいては一風堂というブランドは決して変わらないんだ。たとえば直近の9月、スペインのバルセロナ店立ち上げで現地を訪れた時も日本と同じ「一風堂の空気感」「お客様のラーメン熱」をひしひしと感じた。それも「変わらない一風堂」ということなんだよ。「変わらないために、変わり続ける」は愛著であるダーウィンの進化論をヒントに作った言葉。これだけ長く、多くの人に気に入っていただいているのは本当にうれしいね。

――海外店のお話が出ましたが、あらためて「世界のIPPUDO」の取り組みについて教えてください。

海外1号店のニューヨークから箸を使うことはもちろん、「ZUZUTTO(ズズット)」麺を啜る音を出して、味と共に花開く香りも楽しむラーメンの醍醐味を伝えてきた。その魅力が少しずつ浸透していくと共に、より“本物のラーメン”が求められるようになってきているのは間違いないよ。現地のラーメンレストランを入口に、日本にあるようなラーメン専門店、街のラーメン屋的な雰囲気までを楽しみたい人が増えている。僕らのIPPUDO NYは全米レストラン投票サイト「Yelp!」で1位を獲得したり、ニューヨーク・タイムズ紙には当時のラーメン一杯の値段から「13ドルで行ける日本旅行」と称していただいたりしたこともある。これは日本のラーメンがいかに愛されているか、本場の文化そのものを味わいたい外国人が増えている証明だと思うよ。

「国によってはもちろん、日本と同じように地方により異なる風土、食文化を理解し、謙虚に寄り添うことが大事」と語る河原氏


一方で、特に昨今はハラル圏の方々に向けた豚を使わない新時代のラーメンの開発にも力を入れている。ハラルを実践するイスラム教徒の人口は約20億人。世界全大陸の人が当たり前にラーメンを楽しむ世の中を実現するためにはクリアしなければならない命題だからね。海外展開においてこれからも変わらないことは決しておごらず現地に寄り添いながら「皆様に愛していただけるラーメンを一風堂なりに表現しました。お口に合いますでしょうか」という謙虚な姿勢。日本人のホスピタリティ、奥ゆかしさも世界に誇る財産だよ。

――日本国内でも系列店のオープンラッシュが続いています。

そうだね。意欲的に出店していくのと同時に今国内で掲げているのは「100軒の町づくり」。これは地方のラーメン店、飲食店の事業継承や、それ以外でも土地土地に根ざす文化の保全活動に一風堂が関わらせていただき、地方創生への波を起こすプロジェクト。

さらには、ラーメンの無限の可能性、楽しさをより感じてもらうため、さまざまな新メニュー開発にもいっそう力を入れていくつもり。店舗ごとの限定メニューを強化して“我が町の一風堂”感を強めてもらったり、今までも取り組んできたプラント系ラーメンをブラッシュアップしたり、今回の40周年記念メニュー「U400」のように塩分、カロリーを極力抑えた“健康ラーメン”を出したりなどね。

一方で、豚骨ラーメン元来の魅力ともいうべき、濃厚派、ガッツリ派も満足させる商品も作っていくよ。同じく40周年記念メニューである「高濃度BRIXラーメン」は、特濃好きをターゲットに振り切った一杯。ラーメンは昨今の健康志向のなか、脂や塩分の高い食べ物として引き合いに出されることも多い。もちろん、その観点からの開発も僕たちが世界規模で取り組んでいかなければならないことなんだけど、やっぱりジャンキーで“とんがった”ラーメンも出していきたいんだよ。僕自身もそういうラーメンを無性に欲する瞬間も多々あるからね。次にウチのラーメンを食べていただけるときは、卓上の調味料も使って思う存分、自分好みにカスタマイズして楽しんでほしいね。運ばれてきた時点でもう自分だけのラーメンなんだから、気にせず自由に食べてもらっていいんだよ。

――最後に、50周年に向けての意気込みを教えてください。さらに100周年のときはラーメンの世界はどのようになっていると思いますか?

先にも言ったように今回の40周年は、50年へのはっきりとしたビジョンが見えてきた大きな節目。向こう10年、まだまだ成すべきものがあるとパワーが湧いてきたところだよ。第一弾としては、2028年までに世界で系列500店舗を実現したいね。

50周年のときは、河原氏は83歳になる。「10年後の50周年のときも、僕自身が厨房に立って皆にラーメンを振る舞う予定」と河原氏


そして、100周年のときはどうなっているかね。60年後だから、もちろん僕はいないんだけど(ここにいる皆もほとんどいないんじゃない(笑))、ようやくそのときに、これもよく掲げている「未来の老舗」という目標を達成できるんだと思う。

そのときは想像もできないようなラーメンが世界各地にあふれていると思うよ。今でも各国の気鋭のシェフたちがラーメンに惚れ込み、あっ!と驚くような一杯を次々に編み出している。だから60年先のラーメンの潮流なんて誰にもわからない。正攻法だの亜流だのとは全く関係のない角度からジャンルレスな自由なラーメンが生まれていく。それこそがラーメンの魅力なんだから。

――河原さん、ありがとうございます。次の10年のご活躍も楽しみにしています。


撮影=山辺学、取材・文=上村敏行

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