市長で社長、“人が生きるのに優しいまち”を導く韮崎市長の水のように“謙虚で柔軟”なリーダー論

2023年7月20日

市民参加がカギとなる“チーム韮崎”のまちづくり

ーー2019年の市勢要覧の冊子では、「一人ひとりが輝けるまちへ」というテーマで、アトリエいろはの千葉健司さんと対談されていますね。このなかで、「“チーム韮崎”で取り組むまちづくり」とおっしゃっていましたが、韮崎市のまちづくりについての思いを教えてください。
【内藤久夫】“チーム韮崎”というのは、私が市長に就任する前からずっと使い続けている言葉なんです。もともと韮崎市は選挙合戦が激しいまちでした。これまで一騎討ちの様相が多く、候補者のどちらかが当選しても禍根が残るんですよ。人口3万人足らずの小さなまちで、賛成・反対と対立していたらやっていけない。そこで、選挙が終わったらノーサイドということで、みんなが同じ方向を目指せるようなまちづくりをすることが、まず大事だと考えたんです。そこで、いろいろな業界の人たちへの接し方に気をつけ、入札なども一切公平な形で見て、市役所の職員人事も細心の注意を心がけました。もちろん今までの市長さんもそうやってきたと思いますが、いろいろな点で足りていない部分もあったので徹底しました。そこをまず平らにすることが、私の役割だろうなと考えました。

韮崎市をひとつにまとめて同じ方向を目指せるように提唱した“チーム韮崎”は、内藤さんが推進する街づくりの核となる仕組み【撮影=阿部昌也】


【内藤久夫】ただ、選挙は幸いにも無投票でした。つまり私は、市民全員の想いを背負っているということなんです。声なき声ももちろん取り入れて、まちづくりに着手しました。8年やってきて、“チーム韮崎”という言葉も浸透してきたと思います。市民のみなさんもよく使ってくれていて、すごく理解していただけたと思っています。ですから、何か新しいことを始める際には、“チーム韮崎”として、行政だけでなく市民参加を募っているわけです。

【内藤久夫】アトリエいろはの千葉さんも参加者のひとりであり、我々にはない、彼の若くて柔軟な発想に惹かれました。そこで、行政として千葉さんの活動を支援する“黒子”に徹することにしたんです。韮崎のまちがもっと発展すると信じて、彼のまちづくりを支援したら、若い人たちが活躍して期待どおりの形になりました。本来なら私が主導しないといけないのですが、若い人が出てくると若者が共鳴するので、そういう方法がマッチすると考えました。私の手法は、どこかいつも消極的なやり方かもしれません。でも、いいものを伸ばしていく、このやり方でいいのかなと思っています。

ーー最近、韮崎ワインと韮崎産の食材を自然のなかで味わうイベントなどの情報も目にする機会が増えたように感じます。今後、こうしたシティプロモーションの部分もより強化される予定ですか?
【内藤久夫】シティプロモーションを何とかしなきゃと思ったのは、「韮崎市はすごくいいことをしているのに、みんな知らない。伝わっていない」という、市民の方からの声がきっかけでもあります。私自身、宣伝下手だと自覚しています。そこで、プロに任せたほうが効率良く進むのではないかと考えました。これまでやってきたことを理解してもらい、さらに伸ばしていくには、市民のみなさんや市外の方にも理解をしていただき、ふるさと納税に協力していただいたり、観光にお越しいただくのが一番いいと思います。そのためには、プロに任せるのがベストという結論に至ったところで、現在、検討を進めています。すごくシンプルな理由なんですよね。

ーーありがとうございます。次に、カムバック支援として地域再生大賞を受賞した『青少年育成プラザ ミアキス』について、立ち上げの経緯や想いを教えてください。
【内藤久夫】ある日、地方創生に関わる総合戦略の審議会が終わったあと、思い詰めた表情で3人の女性が「市長、こんな施設があったらいいと思うんですけど、つくれませんかね」と言ってきたんです。すごく途方もないプランで前例のない話でしたが、「これおもしろいかもね」と、私の心がちょっと動いたんですよ。「でも、役所の人間ではできないよね」と伝えると、「私たちがやります」と断言されたので、お任せする形で進めることにしました。

【内藤久夫】ミアキスは、中・高校生が勉強をしたり先輩や周りの大人へ相談したり、自らイベントも企画できるという、ニコリの地下にある交流拠点です。すごくうれしかったのは、不登校の子が、ミアキスには来てくれるという事例もあり、想定外の派生効果をもたらしてくれました。市民のみなさんが、そうやって自主的にどんどんやってくれているので、女性や若者パワーってすごいなと感心しましたね。行政だけでやったら、ミアキスはできなかっただろうと思います。これも“チーム韮崎”のおかげです。私は市民のみなさんに助けられながら市長をやっているのですが、市民のみなさんが非常に柔軟に考えてくれるおかげで、本当にうまくいっていますね。

“チーム韮崎”として市民の力も借りながら、市民の役に立つ事業も推し進めていく韮崎市長の内藤さん【撮影=阿部昌也】


ーー世代や業種を超え“チーム韮崎”として、うまく機能されているんですね。
【内藤久夫】そう思います。ミアキスも、最終的に若者たちが自主的にうまく運営してくれているので、全国に誇れる施設だと思います。その代わりに我々は、予算などで支援する黒子的な役割に徹し、できる部分を可能な限りサポートしています。

【内藤久夫】このカムバック支援については、当初、私のように市外から戻ってくる方のために、仕事や住宅を用意して魅力のあるまちにすることを支援するものと考えていました。そうすれば人は戻ってくると思っていたので、彼女たちのミアキスの構想とはズレもありました。ただ、向かっている方向は「韮崎市がよくなるため」で一致していたんですね。もちろん、カムバック者への仕事や住宅の支援については足りていない部分もあるので、言い続けていこうと思います。こういう人口問題を含めた課題は、ボディブローのように、長期に渡って継続することが大事なんです。

謙虚で柔軟に物事をとらえ、いざという時に力を発揮する「上善水の如し」が考え方のベース

ーーお話を伺っていると、まわりの人の意見を尊重することをポジティブに捉えながら、そのうえできちんと物事を進めていらっしゃいますが、それは実はすごく難しいことなのではと思います。そういったスタンスはどう身についたのでしょうか?
【内藤久夫】何なんでしょうね…父親が政治家をやっていて、「常に人に頭を下げろ」というような生活をずっとしていたからでしょうか。それに、“しゃしゃり出るのは得意じゃない”という自分の性格もありますかね。

【内藤久夫】私の好きな言葉に「上善水の如し」という老子の言葉があります。この言葉が示すように、水のように謙虚で柔軟に物事をとらえ、いざという時に力を発揮できるよう、日頃から心がけてきたんです。水は高いところから低いところに流れ、いつも低いところに溜まっています。そして、流れていく途中で器があれば、そのなかに形を変えて流れ込み、周囲の状況にうまくはまっていく。それでいて、きちんと人も田んぼも潤していく水の特性はすごいなと思っているんです。市政もどちらかといえばそれに近いと考えていて、何でもかんでも迎合するということではなく、「柔軟な思考をしていくぞ」と考えるようにしています。周りの色や前例にとらわれないことで、その時代の型にうまくはまっていくためには、まさに「上善水の如し」の言葉のように生きていくのがいいんだろうなと思っています。そんな考えが、自分のベースにあるから進められるんでしょうね。

内藤さんの考え方のベースには、「上善水の如し」という老子の言葉があるそう【撮影=阿部昌也】


ーー水は姿も自由に変えられますし、かつ周りにエネルギーを与えながら流れていくという存在ですね。
【内藤久夫】そうなんです。そういうのがいいなと思っています。でも、一歩間違うと水害という言葉があるように、水は流しすぎると害を及ぼしますし、ぽつぽつと滴る雫でも「点滴石を穿つ」という力もある。水というのは本当におもしろいですね。

ーー民と官の仕事をされているなか、仕事において大切にしていること、リーダーとして大切にしていることを教えてください。
【内藤久夫】先程の「上善水の如し」の話ともつながるんですが、天狗にならないように、常に謙虚でいることを心がけています。私が尊敬する人はみんな謙虚なんです。ぐいぐい強いリーダーシップを発揮する人もいますが、私はそうではなく、できるだけ謙虚に生きていこうと決めています。生き方なので、今更変えられないんですよね(笑)。たまに天狗になってしまうこともあるかもしれませんが、考え方のベースとして、謙虚さを忘れたらまずいと思います。

【内藤久夫】もうひとつ、リーダーとしては、部下や周りの人のいい点を見つけて伸ばし、活躍の場を与えることが大事ではないでしょうか。300人ほどの職員がいるので、いつもすべてに目が届くわけではありませんが、「この人はこうなんだな」と、きちんと見極めてあげることが大切だと思います。まだまだ私もできていませんが…。

「職員のいい部分を少しでも見極め、その人に活躍の場を与えてあげることが、リーダーにとっては必要」と教えてくれた内藤さん【撮影=阿部昌也】


ーーいい部分にフォーカスすることが大切だと。
【内藤久夫】不得意なところを「ダメじゃないか」と指摘するよりも、その人の良さをもっと伸ばしてあげるようにしたほうが、物事がプラスに働くと思います。必ずしも全員を向いている部署に配置できないかもしれませんが、市の職員を見ていると本当に多種多様で、一人ひとりがいろいろな能力を持っています。「こんなこともできるのか!」と、若手を見ていてよく驚かされます。「これはちょっと難しいかな」という仕事を与えても、できてしまうこともありますしね。ステップアップするチャンスを与えてあげることも、リーダーとして大事な仕事だと思います。

【内藤久夫】リーダーには、ガンガン攻めるタイプと、一歩下がって指揮するタイプがいると思いますが、私は後者のタイプ。自分にできることは限られていますから、周りの人たちにサポートしてもらいながら、みんなが積極的に動いてくれる状況をつくり出すようにしています。

ーーそのほうが、より大きなことができるようになりますよね。
【内藤久夫】そのとおりですね。全国の市長さんを見ていても、リーダー力がある本当にすごいなと思う方もたくさんいます。ただ、韮崎市の場合は、“チーム韮崎”として、市の職員や協力者、市民の方たちと一緒に伸びていけば自然と機能していくという手法で進めています。私にはそれしかできないですしね(笑)。

“チーム韮崎”で市民が健康で暮らせるまちに。韮崎市の未来

ーー韮崎市のトップとして、今後、長期的にはどのような舵取りをしていこうと考えていますか?
【内藤久夫】まず「市民にとって幸せとは何か?」と考えたときに、健康であることが一番大切だと思っています。市民が健康でいると、韮崎市も健康でいられるんです。つまり、市の財政的な問題が解決でき、職員がしっかり働けることが大事なんですね。そういうところを軸に、人もまちも健康にすることを目標にしています。

「市民が健康できちんと働ける街になることが、市の成長にもつながる」と語る内藤さん【撮影=阿部昌也】


【内藤久夫】中期的には、老朽化している体育館を災害に強く防災対策にもなる施設へと建て替えの準備もしています。スポーツは人口が少しずつ減って厳しい部分もありますが、体育館はスポーツでまちを活性化させていくという大きな役割を担っていて、それが健康にもつながっていくんです。先日、Smart Wellness City 首長研究会という研究会に参加したのですが、まちが元気になっていくためには、やはり行政が主導していく必要があります。少ない人口でも無理せずに、市民が笑顔でいられることが一番です。障がいを持たれている方はもちろん、ひとりも残さず健康かつ元気でいられるまちが理想だと思いますし、そこにこだわってやっていくことを目指していきます。

ーーまちが元気だと、住んでいる人たちの心身の元気さにつながりますよね。
【内藤久夫】やっぱり、まちも人も健康でなければダメじゃないですか。

ーー韮崎市の将来像と、韮崎市の魅力について教えてください。
【内藤久夫】最初の話に戻るかもしれませんが、やっぱり人と自然が優しいということに尽きると思います。韮崎市の自然の優しさは、私自身が高校卒業後に8年間市外に出てみて、景色など故郷の素晴らしさに初めて気づかされました。知らない間に自然のゆりかごのなかにいたんだなと。暑くて寒い韮崎市の環境で育てられたから、今の自分があると実感しています。自然は荒ぶることもありますが、それも含めてこの地域の良さだと思います。

【内藤久夫】そして、人の優しさ。韮崎市の人は非常に人間が丸いというか、穏やかですね。もちろん内に秘めたる闘志もありますが、ガツガツした人が少ない地域だと思います。PTAの会長をしていたとき、高校の卒業式の祝辞で「東京など外へ出て働くようになると、地元に心優しい人たちがどれだけ多かったかを、きっと感じると思うよ」と話していました。山梨県は地域によって気質がまったく違うのですが、このあたりは昔からお米がしっかり穫れたので、争いごとが少なかったんですよね。そういう歴史的な風土もあってか、角が立たない人が多いのではないかと推測しています。それに、移住されてきた方たちから「周りの人が優しくしてくれる」という声もよく耳にします。近所の人が、子育てをしている人を見かけたら「大丈夫け?」と声をかけてくれる、昔ながらの優しさが今もあります。みなさん気がついていないかもしれませんが、そういう人の優しさは韮崎市の財産だと思います。

「周りの人が声を掛け助け合う人の優しさは、韮崎市の財産です」と韮崎市の魅力を語る内藤さん【撮影=阿部昌也】


【内藤久夫】これらは、この先も変わらず受け継がれていく韮崎市の魅力です。韮崎市はコンパクトシティなので、そういう意味でもまとまっています。人が暮らすうえでの刺々しさもないですし、お互いが助け合い、まとまっているまちだと思っています。韮崎市は、人が生きるのに優しいまちなんです。

この記事のひときわ #やくにたつ
・天狗にならないように、常に謙虚でいる
・自分のリーダーとしての特性を把握する
・不得意なところを指摘するよりも、その人の良さに目を向ける

取材=浅野祐介、文=北村康行、撮影=阿部昌也

  1. 1
  2. 2

ウォーカープラス編集部 Twitter