放置された森林の整備活動を通して、里山や流域を災害から守り、持続的な発展に貢献する「一般社団法人奏林舎」。代表の唐澤晋平さんに、活動に至った経緯や内容、思いについて話を伺った。
「実家は全く林業と関係なくて、自分もこうした仕事に就くとは考えていませんでした」と話す唐澤さん。学生時代は環境全般について学び、宮城県で環境系の団体に就職。環境教育をはじめ、NPOを立ち上げて森林資源の活用推進などの仕事を行っていた。そこに発生した2011年の東日本大震災。「よりいっそう、森林資源でどうやって地域を再び活性化できるかを考えるようになりました」。唐澤さんは、被災者向けの林業講習会を主催する中で自身も技術を習得。2014年、愛知県岡崎市額田地域に居を構え、嘱託で市の仕事を受けつつ地元でのつながりを深め、2018年に「奏林舎」を法人化した。
「奏林舎」は、手入れが必要な森の間伐や除伐などの整備を行い、伐採された間伐材を地域の製材所と連携して建築用材にして販売している。建築用材にできない曲がった木や細い木は、「みかわエコ薪」として加工。森の恵みを余すところなく活用することに取り組んでいる。「森林を整備することで持続可能な社会に貢献できます。石油などのエネルギー資源は地下から掘削するため大気中の二酸化炭素を増やしますが、森の木を薪としてエネルギー資源に活用すれば二酸化炭素の排出を抑えられます」と唐澤さんはいう。
また「奏林舎」は「額田木の駅プロジェクト」の事務局も務める。「額田木の駅プロジェクト」とは岡崎市内で間伐された木材を1トンあたり6000円で買い取り、森林整備を推進するプロジェクトだ。6000円は現金ではなく、額田地域の店で使える地域通貨「森の健康券」で支払う。地域の店を守るだけではなく、手が空いている高齢者の住民が木を切り出して木の駅に売ることで生きがいにもなり、結果として地域全体の活性化につながっている。
山が荒廃すると、災害リスクが高まるとも唐澤さんは話す。「戦後、拡大造林政策でスギやヒノキがたくさん植えられました。しかし、昨今は林業に従事する人が減ってそのまま放置されている山が多く、スギやヒノキが過密状態になり、森の中は昼でも真っ暗です。日光が届かないからほかの樹木も生えず、一見すると自然が豊かなようでも森の中に入ると土がむき出しで、緑の砂漠と呼ばれるような状態です」。腐葉土が少ないため保水力も弱く、雨が降ると土が流れやすくなる。唐澤さんは子ども向けの環境教育を行い、こうした森の役割や整備の大切さについて伝えている。「愛知県の木材を使って施設を建てた春日井市の学童保育児童に、毎年環境教育を行っています。山に入ってのこぎりで木を倒す体験を行いながら、自分たちが使っている施設の木はどこから来たのかを知ってもらい、大切に使うことを教えています」と唐澤さん。子どもたちは切り出す苦労や丸太の重さを体験しながら、森について学ぶ。
「山が荒れたのは、日本人が日本の木を使わなくなって代わりに安い外国材を使うようになり、木を切り出す機会が減って整備が行われなくなったから。こうしたことを知らないと、どんどん山が荒れて森林環境が壊れ、災害リスクも高まります。農業はイメージしやすいけれど、林業はなかなかイメージがつきにくいので、未来を担う子どもたちに、まずはこうした環境教育をして関心を持ってもらうことが大切だと思います。また地域の人にも知っていただくことは重要だと思っています」と唐澤さんは話す。
本来はどんな森がいいのか、どういう森にしたいのか。そこから逆算して人工林を整備していく必要があると唐澤さんはいう。「生物多様性の森にするには、どういう間伐を行ったらよいか考えていきたい。実際に自分で山を持って、実証実験を行っていきたいと思っています」。またスギやヒノキ以外を植樹していきたいとも話す。「岡崎市は成長サイクルが早いセンダンや漆の木を植えています。これらの木は家具用の材やプラスチックの代用になる。こうした形で、山で稼ぐ仕組みを作っていけたら持続可能な発展につながると考えています」。