呼び名が「ちゃうんすよ」になってしまいました(笑)
――学生時代は、心斎橋やなんばエリアで過ごすことが多かったですか?
そうですね。アメ村のほかに「なんばパークス」(ファッション、グルメ、雑貨など多彩なショップがそろう複合商業施設)へよく遊びに行きましたね。映画が好きなので、一人映画もしちゃうタイプです(笑)。
そういえば、「なんばパークス」で観た映画には思い出があるんです。ずっとサッカーに打ち込んでいたんですが、K-POPオタクの母親の影響で高校生からダンスを始めて。でも、周りの友達は小さい頃からダンスを始めているのに対して、僕は高校生からで「もう遅いのかな?」と不安で。「これから何で食べていくのか」、「ダンスを諦めて、普通の道へ進むべなのか」と、悶々としていた時期があったんですよね。
その頃に「なんばパークス」で観た映画「マイ・インターン」に後押しされて、ダンスの道を極めようと決めました。そこからますますダンスの魅力にハマって、「もっと上手くなりたい!なにかが足りない!」と、アメリカのロスにダンス留学をしました。そこでも考え方が180度変わって、いい意味でネジがはずれて。「周りと比較されても、どう思われてもいい。できるところまで行こう!」と、覚悟が決まりました。
――行動力がスゴイ!現在は夢を叶えられて東京で活躍されていますが、大阪に帰られるとやっぱりホッとされますか?
そうですね。まず、エスカレーターの左右どちらに立つかの違いで「ああ、大阪に帰ってきたんだな〜」ってなります(笑)。あとは、ご飯屋さんに入った時。店員さんがフレンドリーに話しかけてくれると「ここで育ったんだな〜」って、なんだかホッとします。初対面なのに、まるで親戚の子供のように話しかけてくれるんですよね。大阪はいい意味で、店員さんとお客さんの距離が近い。大阪の魅力は、まさに人と人の壁がないところ。その自然な温かさに触れられた時に、心からリラックスできるんです。
――ちなみに、普段は関西弁ですか?
新メンバーとして加入後、最初は関西弁だったんです。ただ、予想外にメンバーにいじられて…(笑)。もともと「ちゃうんすよ」(「違います」の意)が口癖でだったんですけど、メンバーがボケる度に「いやいや、ちゃうんすよ」って、「ちゃうんすよ」を多用してツッコんでいたら、いつの間にか呼び名が「KEY」から「ちゃうんすよ」になってしまって(笑)。思ったよりもいじられたんで、今はできるだけ標準語で話すようにしています。でも、今も「ちゃうんすよ」を求めてくるメンバーがいて(笑)。なので、関西弁は全面に出さずに、控え目にしています。